訃報


天津中医薬大学 劉公望教授
2009年2月26日(木)夜、ご病気のため急逝されました。享年66歳でした。
これまで日中鍼灸界の交流のためにご尽力下さった先生の早すぎる逝去を悼み、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

追悼のことば

 2月27日の午前、天津中医薬大学国際教育学院の応森林院長から突然国際電話がかかってまいりました。劉公望教授ご逝去の訃報でした。驚きのあまり、なんと言っていいのか言葉が出なくなり胸がつまってしまい電話での会話ができなくなりました。
 劉公望教授とは四半世紀以上にわたって一緒に日本と中国の中医学交流を推進してまいりました。そして天津中医薬大学および劉公望教授のご指導と絶大なる協力のもとで、日本における鍼灸学教育(中医鍼灸学)の発展と改革のために、日中共同で日本に適した新しいスタイルの鍼灸学教材(『基礎編』、『臨床編』、『経穴編』の三部作)を出版することにより、初めて日本の鍼灸教育の中に中国伝統医学が正式に導入されることになったのです。天津中医薬大学および劉公望教授の絶大なるご協力があってこそ実現できた日本における鍼灸教育プロジェクトでした。
 さらに多年にわたって後藤学園と天津中医薬大学の共同教育プロジェクトであるダブルカレッジ(天津中医薬大学大学院修士課程)の教育指導を担当していただきました。卒業生の多くが日本における教育の現場、臨床の現場の第一線で活躍しております。
 そして毎年、天津中医薬大学での後藤学園学生研修団の臨床指導も担当していただきました。毎年、後藤学園の学生達は天津で劉公望教授の臨床カンファレンスが受けられることを非常に楽しみにしており、後藤学園中国研修旅行の伝統行事となっていました。
 昨年11月初旬に開催された天津中医薬大学創立50周年記念式典および学術大会に参加したおりにも、劉公望教授と再会をはたし旧交を温めることができました。あれからたったの3ヶ月しかたっておりません。劉公望教授がお亡くなりになったなんて、とても信じられません。突然のご訃報にただただ驚くとともに、大変胸がつまります。
 体調をくずされて1月から入院はされていたそうですが、病棟を抜け出しては外来で患者さんを治療されていたそうです。お亡くなりになる前日も患者さんを20名あまり治療されていたそうです。ご自身が病んだ身であっても、患者さんのために診療に全力投球をする劉公望教授のお姿が目に浮かんでまいります。2月26日のお昼には大学の幹部や大学院生達がお見舞いにいかれていたそうですが、普段とかわらず談笑されていたそうです。
 享年66歳でした。本当に残念です。3月2日の午前中に告別式が行われたとの報告が天津中医薬大学からありました。
 今はただただ劉公望教授のご冥福を心よりお祈りいたします。

 2009年3月4日
 後藤学園中医学研究部長・天津中医薬大学客員教授
 兵頭明



2008年中医鍼灸研修旅行:天津中医薬大学にて

今からほんの1年前の写真。
劉公望先生は、学生の視線やビデオカメラを前にしてもまったく動じず、
スピーディかつジョークも交えながら華麗に実技セッションをこなします。
中国でも有数の「鍼灸教育の達人」であり、中医研修旅行におけるメインイベントでもありました。
また生徒達は先生の手から繰り出される中国針の片手無痛切皮を受けて、
「全っ然、痛くない!」などと驚きの声を挙げるのが常でした。


2007年日本代替・相補・伝統医療連合会議(JACT) 第7回日本統合医療学会(JIM)合同大会 宮城県松島にて

実技セミナー「中国伝統医学に於ける脈診の実際」ということで劉公望教授を招き講演を開催。
盛況のうちに終わって間もなく、先生は翌月には南米へ飛んでいましたた。
こうして海外を飛び回り、中医学教育のために全身全霊を傾けるのが劉公望先生の日常でした。


2003年中医鍼灸研修旅行:天津中医薬大学にて

鍼灸・方剤ともに臨床家として長けていた先生は、患者からの信頼も厚く、
我々、日本人学生相手の実技セッションにおいても、患者役を承諾して下さる地元の方々が非常に多く、
また、写真のようにまだ幼い男の子・女の子相手にも治療を施していました。
彼らは治療前になると時折駄々をこね、中には泣き出す子もいました。
ただそれは「鍼が怖くて」などではなく、「人前で脱ぐのが恥ずかしいから」。
そんな彼らも先生の触診や鍼を受けると途端におとなしくなっていたのが印象的でした。


2004年天津(シェラトンホテル)にて

当研究部斎藤先生も天津中医学院(当時)留学中に劉公望先生の下で研修を受けていた一人です。


(左写真)1987年撮影:路志正教授、後藤理事長、劉公望教授、兵頭部長 
(右写真)劉公望教授指導のもとに集まった『針灸学・経穴編』(東洋学術出版社)の執筆委員会(天津にて)

今から30年前、日本・中国から、熱意と意欲に燃える30代の若き男たちが集まりました。
彼らの共通した思い。それは「世界に共通する中医学基礎教材」を作ること。
かくして、日本において『針灸学三部作』が生まれ、鍼灸教育に中医学が導入されることとなったのです。
こうして現在における中医鍼灸学教育の基盤は築かれ、今日に至っています。
 

劉公望教授の関わった著書(主編・共著含め:当研究部所蔵)


節哀順変。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
中医学研究部 一同

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